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06 2月

13日目 哀別

“遺跡西方の河川敷にて、水死体発見さる”

報せを受けた警邏(けいら)隊が駆けつけた時、第一発見者の男は既に行方をくらましていた。

雨上がりの河川敷には、偶然通りかかったらしい冒険者が何人か足を止め、この事件の数少ない目撃者になるべく、興味津々で見物している。
この島へ招待客が詰めかけて半月、人死にはこれまで出ていなかった。港から市街地にかけての人が集まる地域はおろか、森や山、凶暴なモンスターが棲息する遺跡内ですら、死傷者が出ないよう有志によって警備が行われているのだ。
「由々しき事態だ」頑強なる小隊長ボルックスは低く唸った。「このことは緘口令を敷き、一切外部に漏らさぬよう」
ボルックスはすぐさま付近一帯を封鎖するよう指示し、水死体は解剖の為に運ばれる手筈となった。
「それにしても、綺麗なものだな……上流から流されてきたわけではないのか」
青ざめた顔で横たわっているのは、彫りの深い顔立ちをしたエキゾチックな若い男で、水に濡れた長い黒髪を肩に纏わせ、民族衣装を身に着けている。浅黒い肌をしており、額や体のいたるところに赤い模様を施しているのが印象的だ。川に浮かんでいたというが、遺体や着衣に傷らしい傷はない。

彼の部下数名が、野次馬を追い払いにかかり、同時に、敷布の上の冷たい骸にシートをかけようとした、その時だった。

「やめろー!!」

屯する数人の冒険者達の間を縫って、何者かの影が猛然と飛びかかってきたのだ。

「うわあああっ」
ドン、と鈍い音がして、隊員が二名、シートと共に吹き飛ばされた。突然の強襲に、彼らは為すすべもなく、重なるようにくずおれて気を失った。
「バンディ、ブルートッ!……敵襲か!?」
ボルックスは驚愕したが、咄嗟に腰のサバイバルナイフを抜き放った。彼は、襲撃者が、身を翻して水死体の傍に駆け寄るのを見た。
「何者……、……!?」
今まさに骸のそばに屈みこんだのは、獣の皮を身に纏った、裸足の、野性的な幼い娘であった。体中びしょびしょで、あまつさえ、泥水の跳ねたような汚れが、服や脚にたくさん付着している。
ボルックスが息を呑んで見つめる中、娘は地面に膝をつき、あろうことか、横たわる男の服の胸倉を掴んで、ぐいっと引き寄せたではないか。
「き、貴様、何をしているッ……!」
少女はそれを意にも介さず、大声で怒鳴った。

「ジャファル!目を覚ませ、起きろ!ジャファル!!」

それは、まるで寝覚めの悪い連れを起こそうとでもしているかのような、ごく自然な呼びかけであった。
ジャファルと呼ばれた男は、手繰り寄せられて人形のように力なく仰け反った。だが、娘は彼の頬を叩き、呼び続ける。
「聞こえてないのか、おい!ジャファル!!この、起きろったら!!」

ボルックスは呆然とその様子を見ていた。
男がもはや死んでいるということを、理解できていないのだ、この少女は。

「おい、もうやめないか」
痛ましい思いに捕らわれ、ボルックスはナイフを鞘に収めながら声をかけた。「アンタ一体誰だね」
その声に顔を上げた少女の、雨に濡れて乱れた前髪の下で狂おしくぎらぎらと光る眼(まなこ)を見て、彼はどきりとした。
「ロジュ」
そう名乗った少女は、再び、動かぬ男に目をやった。
「……ジャファルに何があった?ロジュに、何も言わずに出て行った。こんなこと、今までなかった」
「……お嬢さん、気を確かに持つんだ。残念だが、とうに、呼吸も脈拍もない。身体も完全に冷たくなっている。じきに死後硬直が始まるだろう」
だが、ロジュには聞こえていない。
「ジャファルが寝てるとこ、見るのも、初めてだ。こんな穏やかな顔で眠るんだな。どんな夢を見てる?……でも、そろそろ起きろ、ジャファル。今日から、また遺跡へ行くんだぞ。クニー達が待ってるんだ、ほら」

魂の抜け殻

揺すぶられてもジャファルは目を覚まさない。
――当たり前だ。この青年はとうに死んでいる。
ボルックスは辛そうな顔をしたが、かぶりを振って私情を追い払い、ロジュの体をジャファルから引き離そうとした。

「さあ、下がっているんだ。まずはご遺体を運んで、調べなければならない。いつまでもこんな」
「ジャファルは死んでなんかいないッ!!」
ロジュはその手を激しく振り解き、噛み付きそうな勢いでボルックスを仰ぎ見て、睨んだ。鬼気迫る形相だった。
「ジャファルはもともと、体が冷たいんだ!心臓も、一日に数回しか動かない!死んでるように見えるだけだ。死んだりなんか」

その瞬間。
パタパタと音を立ててジャファルの胸に降り注ぐものがあった。
雨、ではない。堰を切ったように溢れ出した、ロジュの涙である。

「ジャファル、死ん、だりなん、か……ッふ、えぐ、っ……うわあああああん!!わああああああああっ」

ボルックスは逡巡したが、しばしの後、静かにロジュとジャファルから離れた。他にどうすることもできなかったのだ。
隊員たちも、みな、暗い顔でそっと目交ぜをし合った。分厚く垂れ込めた雲が、その場に居合わせた全員の心に重くのしかかっているようだった。
 

 ― ―

 
正午ごろ、ロジュは、物言わぬジャファルの身体と共に宿へ戻ってきた。
クニーの姿は無い。遺跡探索へ出発したのか、或いは、ただならぬ様子のロジュ達を気遣って、他の部屋で様子を伺っているのだろうか。
ロジュは椅子に腰掛け、ジャファルの安らかな寝顔をしばらくじっと見ていたが、やがて自らも、彼が横たえられた寝台の端っこに埋もれるようにして寝息を立て始めた。

「体温がないし、心肺機能も停止しとるようなンですが、筋肉の弛緩も硬直もない。死斑もなきゃ溢血点も見当たりません。瞳孔も開いちゃいませんな」
医療班の年かさの男は言った。
「調べてみたら、魔力の減退も見られねェんですよ。結論から言いますと、死んじゃアいませんが、生きてるとも言えねェですね。一つだけハッキリしてるのは、あたしらに打てる手は無い、ってことですわ」
検死の結果を見届ける為に同席したボルックス小隊長は、驚き、複雑な顔をした。幼い少女は聞いているのかいないのか、座ったまま身動きもせずただ青年の顔を見つめていた。
――可哀相だが、おそらく、もう目を覚ますことはあるまい。
ボルックスはロジュの頭に無骨な手を乗せ、優しく撫でた。
彼と、その部下達は、かける言葉も見つからないまま、部屋を後にした。そして静寂だけが残されたのであった。

数時間後、ロジュは目を覚ました。
腫れぼったい目をこすりながら身を起こすと、小さな窓から差し込む光は夕暮れの色をしていた。

何もする気になれずしばらく呆けていたのだが、急に、ぐう、と腹の虫が鳴いて、ロジュは思わず顔を赤らめた。
こんな時に!
精神状態とは関係無く、どんな時でも健康な自分の体が、ロジュは恨めしかった。
ひどく億劫そうに立ち上がり、荷物袋を覗きに行ったロジュは、所持品の奥で押しつぶされている、焦げた食用雑草を摘み上げた。だが、とても食べられそうにない。

「ん?」

何か、見慣れない紙片が入っている。折りたたまれたそれを開いてみると、乱暴に破り取られた日記の切れ端のようであった。中央に大きく、急いで殴り書きしたらしい雑な字が踊っている。

『先に行く “石の演劇” B16 合言葉は…』

汚いが、ロジュが読めるように全て簡易書体で書いてあった。クニーが残したものだろうか、それともロクローだろうか。ロジュは困惑したように視線を彷徨わせた。意識の無いジャファルを見、紙に視線を戻して、またジャファルを見た。
「どうしよう……」
遺跡に潜れば、数日は戻れない。その間に、ジャファルがもっと遠くへ行ってしまったら?ロジュは後悔していた。この島へ来たことがそもそもの間違いだったのではないか。しかし、今更悔やんでも詮無いことだ。
どうすれば良い?一体何ができる?
答えは既に、手の中にあった。ロジュは紙切れを握り締めた。財宝と宝玉さえ手に入れば、高く売れるに違いない。そうしたら、腕の良い魔術師か医者に見てもらえるかもしれない。少なくとも、ここでじっとしているよりは、ジャファルの助かる可能性が増すような気がする。

ジャファルの冷たい手を取って、押し頂くように額に当てる。
「今度はお前が、ロジュの言う事聞く番だぞ。ロジュが戻るまで、ここにいろ。約束だからな」
ロジュは手早く荷を負い、出て行こうとして……ドアの前で振り返った。

何故だろう、この部屋を出る時は、ジャファルも、ロジュも、クニーも、皆独りだ。
必ず、ここから一緒に歩き出してみせる。
きっと。

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